「もし噂が本当なら、あの小憎たらしい大迫美鶴を貶める良い材料にもなりますし」
大仰に腰を揺らす。
「あのような低俗な生徒がこの唐渓の校舎の中を歩き回っているだなんて、考えただけでも吐き気がしますわ。もし追い出せる口実を掴むことができるのなら、それくらいの事、誰だってしますわよ」
当然とばかりに発言し、そうして憐れむように聡を見上げた。
「本当に、なんてもったいないのかしら。あなたのような綺麗で聡明な生徒が、あのような下品で小汚い生徒に傾倒しているだなんてね。早く目を覚ますべきだと思いますわ」
自信満々にそう答える。
予鈴のチャイムが鳴った。その音を聞くや、怒りでワナワナと震える聡に優雅な笑みを投げかけ、傍らの女子生徒には、しつこいのも程々にね、などと声を掛けて去っていった。その後、女子生徒は授業の始まるギリギリまで誘い続けていたが、聡はその半分も聞いてはいなかった。
夜な夜な繁華街を徘徊している。
まさか、美鶴がどうしてそんな事を。
いや、噂だ。美鶴が夜遊びだなんて、そんな事をするワケがない。そもそも夜遊びってのは男のするモンなんじゃねぇのか? まぁ、今はホストクラブってのがあって、入り浸ってる女もいるって聞くけど、まさか美鶴がそんな事を。
いや、でも。
気になって仕方がない。
美鶴がそんな事をするワケがない。ひょっとして目撃されていたとしても、それはあの生徒が言うように、母親の店に用事でもあっただけだ。
だが、念のために聞いてみようかと思って駅舎に来てみれば、美鶴の様子は明らかにおかしかった。
思えば、態度が変なのは今日に限った事ではない。記憶を辿ってみると、それは数日前からのような気がする。いつもは瑠駆真たちとの会話の中に紛れ込み、それほど気にはならなかっただけだ。
何だろう?
こうして二人っきりで向い合っていると、途端に気になってしまう。
美鶴、俺に何か隠しているのか? それって、例えば霞流の事とか? それとも、なにか疚しい事でもしているのか?
視線を落す。
霞流、か。
明日はバレンタインだ。やっぱり美鶴は霞流にチョコを渡すのだろうか? 俺は、貰えないんだろうか? 貰えてもやっぱり義理?
わかっているとはいえ、考えると多少はヘコむ。
別にチョコレートが食べたいってワケじゃないんだけどよ。
思えば、バレンタインのチョコをこれほど意識したのは初めてかもしれない。クリスマスの時といい、どういう事なのだろう? 去年までは気にもならないどころか、多少ウザいとも思っていた行事が、今はとてつもなく重大なイベントに思える。
昔はよく貰った。小学生の時から異性に人気だった聡は、毎年それなりの数は貰っていた。だが、嬉しいと思った事はなかった。
めんどくせぇなぁ。
適当に食べて、ほとんど捨ててしまう事もあった。悪いと思った事もなかった。美鶴から貰う事もあったが、それは小さい頃からの習慣みたいなもので、小学校も高学年になると、くれなくなった。
あぁ、そうだ。
聡はふと思い出す。
何年もくれなかった美鶴が、突然チョコレートを持ってきた事があった。
「お母さんがお店でお客さんにもらったんだって。私、お酒入りのチョコは苦手なの。よかったら食べる? 甘くないよ」
中学一年の時だった。あのチョコレートは全部食べた気がする。でもあの時はまだ、自分の気持ちには気づいていなかった。
翌年の二年生の時には貰えなかった。あの時美鶴は、別の男子生徒に渡していた。生まれて初めての本命チョコを渡して、そうしてフられてしまった。
「美鶴、今年は」
思わず零す。
「は?」
聞き取れなかった美鶴が顔をあげ、聡は思わず片手で口を押さえた。
「何?」
「いや別に。独り言」
俺は、何を言っているのだろう? 聞いたところで返事など決まっているはずなのに。
虚しさのようなものが胸に広がり、耐え切れなくなって身を動かした。辺りを見渡す。
「今日は誰も来ねぇな」
「だね」
「瑠駆真も。珍しいな。本格的に嫁探しか?」
「本人に聞いてみたら?」
聞いたところで怒りを買うだけだろう。
曖昧に笑う。
「暗くなってきたな。寒くねぇか?」
「寒いに決まってる」
「そろそろ帰らねぇか?」
言われて美鶴も窓の外を見た。
「暗くなってきたし。このまま勉強してても、目を悪くするだけだぜ」
「そう、だね」
その返事に、聡は目を丸くする。
「どした?」
「え? 何が?」
「何って、今日はヤケに素直じゃねぇか」
いつもならお前一人で帰れとかって、ぶっきらぼうに突き放すのに。
美鶴は一瞬言葉に詰まり、慌てて言い訳を考える。
「別に。私もそろそろ帰ろうかと思ってただけだ。人を天邪鬼みたいに言うな」
どこからどう見ても、天邪鬼そのものなのだが。
ずいぶんと下手な言い訳だと我ながら思い、だが、言わないワケにもいかない。
今ここで、聡と別れるワケにはいかない。だってまだ、ツバサとの約束が果たせていないのだから。
美鶴は無言で片付けを始めた。エアコンなどの設備もない駅舎では上着やコートは着たまま。教科書やらノートやらを仕舞ってしまえば、それで身支度は整ってしまう。
外に出て、鍵を閉める。
「送ってくよ」
美鶴は逡巡し、今度はできるだけ素っ気無く答える。
「好きにすれば」
できるだけ何の感情もこもらないように注意しながら、美鶴は歩き始めた。聡が少し嬉しそうに横に並ぶ。
こんなところを瑠駆真にでも見られたら、また騒ぎにでもなるんだろうな。それにしても瑠駆真、今日はどうして来なかったんだろう?
来ればうるさいだけだと思いながら、毎日顔を見ている存在が居ないと、やはりそれなりに気にはなる。
いつから、そうなってしまったのだろうか?
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